🏀弱いときにこそ強い
今回は新約聖書の一説
弱いときにこそ強いというワードをテーマにして
イシキタカク記事を書いてみた
[新約聖書:コリントの信徒への手紙⑵ 第12章6-10節より抜粋]
私の身に一つのとげが与えられました。
この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
すると主は
「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ私は、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても
キリストのために満足しています。
なぜならわたしは弱いときにこそ強いからです。
👆これはパウロというオッさんがコリント人(コリント教会の人)宛に書いた、キリスト教入信を勧める手紙の一部
…つまりざっくり言うと
(´・ω・`)…宗教入りませんか(※意味深)
といった案内
/・・)/…まぁそういった経緯・状況はひとまずおいて
弱いときにこそ強いこの一見逆説的な表現は、非常に深い意味のある言葉だと思う
パウロの肉体には棘があった
この“棘”の詳細については様々な説がある
①パウロは障害者だった
②信仰を続ける事の苦悩を棘と表現した
この2つの説が多いが、どちらかというと、“①”の「何かしらの障害を持っていた」と考えられる事が多いとは思う
パウロは棘を抜いて貰いたくて、神様に3度お願いをした
ここの[3度]とは“何回も”という意味なので
つまりパウロは
「神様に障害を治して貰いたくて、何度もお願いした」という解釈となる
すると神様はパウロの前に現れて
『あなたの障害は、あなたを強くするために授けられたものだ』と答えたんだそうな
(・・)…て、お話
【参考記事】
このフレーズは、バスケット界隈だと同性愛者である事をカミングアウトしたJコリンズがしばしば引用するので聞いたことがある人もいるかもしれない
コリンズにとっては性的マイノリティである事が棘なのだろう
あと、時節柄大切な気がするので触れておくけど
①僕は書籍として聖書は読むけどキリスト教自体にはあんま興味ないです
②基本的な考えはニーチェに近いので新約聖書の解釈全般に関しては慎重な対応を取る事が多いです
新約聖書を読む時には手袋をした方が良い。こんな酷い不潔さのそばでは、そうでもするしかあるまい。
F.ニーチェ/反キリスト
・また僕は性的マイノリティへ差別はあってはならないと思っているが
・差別撤廃への運動とか募金とかに参加するつもりはないです
✋よろしく
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