📓「最恐の被害者」問題
1962年にドイツ で
「公共性の構造転換」という冊子が発刊され
空前の大ヒットをした
大長編なので要旨だけまとめると
①現代社会では弱者・被害者こそが強者である
②「私は被害者だ」と声高く叫ぶほど強者になれる、『だから現代社会の住人は、皆、強者となる為に、むしろ弱者を目指す』
③このままでは2000年頃には社会は弱者に蹂躙され、崩壊する
ーて、話※
(※他にも沢山書かれています)
◇
この『最恐の弱者現象』は 特に閉鎖された空間である FacebookグループやLINEグループの様な空間では猛威を振るう
例えば
①A「私は悪い事をしていないのに、Bから迫害を受けた」
②B「なんてCは酷い奴なのだろう」「皆でCを糾弾しよう」
こんな対話を皆さんも見かけた事はないだろうか?
しかし グループ内にCがいなければ もしかしたらAの訴えは Aの思い込みか、或いは陰謀で Cは濡れ衣を着せられているかも知れないよね?
だから
③D「皆、落ち着け」「Cの弁明がない状態で判断するのは危険だ」 という声も上がるが
すると
④B「可哀想なAを擁護しないDは悪い奴だ」「まずは皆でDを糾弾しよう」 と声が上がり、Dはグループで迫害を受けたり、追放される
するとグループ内で Dに共感していたメンバーも沈黙し出す
すると組織はどんどん愚鈍化して行き 成長力を失って行く
こういった 閉鎖された空間で起こる最恐の弱者現象を 特にカルト化と呼ぶ
◇
最恐の弱者現象・カルト化は 魔女狩りやナチスドイツ、日本ならばオーム真理教などで確認されていて
ヨーロッパやアメリカ“では!”深刻な社会問題として調査研究が繰り広げられている
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ではこのカルト化・最恐の弱者現象にどうやって立ち向かえばいいのか?
ごく一般的な対策をまとめてみた
①自己責任を持って判断する
「〇〇さんが言っていたから」「みんなが◇◇と言っていた」だけで判断しては駄目だ
もし皆さんが〇〇を信頼してその判断に追従しても もし皆さんが周囲の声に流されて意見を決めても 追従した事によって発生する責任から皆さんは逃れられない
②被害の訴えだけで判断しない/必ず双方の意見を聴取する
被害が発生した当時の動画など、明確な証拠がない限りは 必ず被害を受けたという声の他に対象者の意見も必ず聴取する事
対案のない一方的な被害の訴えは危険であると理解する事だ
③カルト化で困るのは自分や家族である事を認識する
例えば、さっき書いたABCDの対話だと、局面だけみるとDがとばっちりを受けた様な表現になっているが
実際にはコミュニティ全体が崩壊してしまうので、組織はわかりやすく全滅する
例えば、ミニバスチームでカルト化を放置すればミニバスチームが崩壊するし
学校でカルト化を放置すれば学校が崩壊するし
日本全体でカルト化を放置すれば日本全体が崩壊する
そして組織の責任者が崩壊をわかっていて放置するならば責任者の責任で、そして大概の民主主義社会の責任者は皆さん自身だ
端的に言えば「カルト無視はそれで既に罪だ」という事
④責任を負いたくなければ組織を大きくしない
またこういった責任を負いたくなければ
始めから多数の参加者が集うグループを創設せず、「顔見知りさん」だけで組織運営する事だ
オーム真理教も、始めのヨガ教室程度であればあんな悲劇は起こらなかっただろう
彼らの最大の罪は「素人運営で組織を肥大化した事」だ
⑤批判に耐える根性がなければ、始めから身の丈以上の看板を掲げない事
例えば
・ヨガ好きさん集まれ
・野球の勉強会
・楽しい国語教室
こういった不特定多数を募る、しかも勉強会系タイトルでグループを運営するのが、もっともカルト化を起こしやすい
多様な意見が交錯すれば批判・反駁が錯綜するのは当たり前の事だ
それに耐えるガッツが運営者になければ
>・たまの大学ヨガ研究会 >・株式会社タマノ野球部勉強会 >・玉野タマ雄主催、国語勉強会
このようにタイトルに主催機関をきちんと明示することだ タイトルから公共性を消せば 誰もあなた方に噛みついたりしない
⑥カルト化の被害は遅発性である事を理解する
学校のイジメなどでもそうだが カルト化による被害が顕著化した後で騒いでも 殆どの場合は手遅れだ
オーム真理教やナチスドイツの様な状態に 皆さんや皆さんの家族が陥りたくなければ 甚大な被害が発生する前に、①〜④を遵守する事だ
⑦最恐の弱者現象は世界規模の問題
尚、今回話した事はフランスやドイツならば 中学生なら理解している 何故なら、このテーマの内容について学校で授業を受けているからだ
もっともこんな事いちいちと学校で勉強しなくても 日本ならば文化風習で体験的に学習している人は多いとも思う
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少なくとも この7つが理解できていない人物を 僕は指導者として、保護者として認めない
無知を責めているのではない
こんな状況を放置していたら今の子が成人する頃には日本が崩壊してしまう
僕は子供たちに誇れる大人でありたいし 子供たちに誇れる大人が指導者であるべきだとも考える
皆さんはどうだろうか?